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二、軍機作戦命令

二、軍機作戦命令

 三月二六日、第二艦隊旗艦「矢はぎ」の黄色い発火信号が、各艦の艦長、
先任将校、機関長、軍医長、砲術長、航海長、通信長、主計長は「矢はぎ」
の士官室に参集するよう点滅した。私は「雪風」「磯風」「浜風」からなる
第十七駆逐隊軍医長として参加した。

 「矢はぎ」の士官室には、緊迫した雰囲気が流れ、参謀肩章をつけた艦隊
の参謀が、「今や沖縄の陸海軍及び航空隊は連日死闘を繰り返し、沖縄の戦
況は天下分け目の関が原の戦となった。帝国の存亡もこの一戦に懸かってい
る。陸上の陸海軍は四月八日のれい明期を期して総攻撃を敢行する。我々第
二艦隊もそれに呼応して、栄ある海上特攻隊として出撃し、沖縄嘉手納沖の
敵泊地に突入し、海岸にかく座し砲台代わりなり死に花を咲かせて国民の期
待に応える。戦局を挽回するのは帝国海軍軍人として本望これにすぐるはな
い。海上特攻作戦であるから、燃料は沖縄までの片道分、食糧衣服は一週間
分、その他可燃物は陸揚げすべし。貴官ら帰艦したら直ちに作戦準備にとり
かかれ。」

 この命令は、戦術的には制空権のない艦隊の出撃は、文字通り飛んで火に
入る夏の虫のようなものだが、当時の祖国存亡の秋、艦隊の栄ある死に場所
を求めて出撃するのは、海軍軍人として無上の光栄、男子の本懐これに優る
ものはなかった。

 並みいる者は、お互いに今日のために寧日なき血の出るような訓練をして
きたのだ。参謀長の命令を聞き、眉字に決意を浮べ、同時に何かしらの安堵
を覚え、足取りも軽く内火艇に飛び乗り各自の艦に帰り、来るべく出撃の準
備にとりかかったのであった。


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